鍵とスマホを忘れて家を出た
子どもを保育園に送る途中、カバンに鍵が入っていないことに気が付いた。あとスマホも入っていない。
バタバタ家を出て、ドアの施錠は一緒に家を出た妻がやってくれていたので気が付かなかった。妻は途中で別れて職場へ向かった。
とりあえず子どもを保育園に預けてどうしたらいいか考えた。カバンの中に入っているのは財布、ティッシュ、メガネ、読んでいる本、エコバッグ二つ、小さい三脚である。財布だけでもあって良かったと思うと同時に小さい三脚がスーンと入っているのが腹立たしい。カメラないのに。
家の外で唯一鍵をもっているのは妻なのだけど、このままでは妻に連絡ができない。スマホがないので。そう思ってマンガ喫茶に来た。
やってない洗濯とか、駐輪場の料金とか気になることが色々あるのにマンガ喫茶に入るしかない。嫌なお金の使い方だ。そういう習い事だと思うしかない。ほら、習い事ってお金かかるから。
小さいブースのボロボロのイスに座る。ここのパソコンからGメールで連絡をしようと思った。よく使っているっぽいので。しかしGoogleにログインできない。2段階認証の本人確認のところでスマホがいるのだ。職場の妻にメールを送りたいのだ。家のスマホに数字を送ってどうする。
とりあえずあまり使ってない別のアプリから連絡したが、多分気が付かないだろう。
キーっとなって今である。何かの足しにしたくてこのブログを書いた。
【10:30 追記】
1時間半ほどマンガ喫茶で試行錯誤したが、うまくいかないので出ることにした。とにかくアプリにログインできない。パスワードが分からないし分かっても最後にはスマホが必要になる。
出て何をするか決まっていないが、最悪妻が帰宅するまで僕も帰らないということになってもまあいいやという気持ちになってきた。
話題の映画とか見てやろうかと思ったが題名を思い出してやめた。「君たちはどう生きるか」って今一番言われたくない言葉だ。
【14:15 追記】
マンガ喫茶を出て公衆電話を探した。妻の携帯の番号のメモをカバンの中に見つけたのだ。小銭がなかったが、財布の中に非常時用のテレホンカードがあった。理由が間抜けなので今の状況を「非常」と表現したくないがしょうがない。
電話をかけて留守電に、鍵とスマホを置いてきたことを伝える。そして「忙しいところ申し訳ないのだけど、できたら…」と口に出したところで「待てよ」と思った。
なにをお願いしたらいいんだ。
何時にこの場所に来てくれ、なんて仕事してる人に言えない。「何時までこの場所にいるから来れる時に来てほしい」と言いたい。でもどこと言ったらいい。
己の無計画さに呆れつつ「ごめん、また掛けます」と言って電話を切った。
待つ場所を決めよう。そのために妻の職場の最寄駅に向かった。電車を降りて見渡すとすぐ近くに喫茶店があり、目の前に公衆電話がある。「駅の近くの喫茶店にいるので来れる時に来て欲しい」とまた留守電を残した。
やることはやったのであとは待つだけである。コーヒーを飲んだり本を読んで過ごした。読書が捗った。
しばらく読んで顔を上げると、窓の外に集団下校する小学生が見えてひどく落ち込んだ。僕はまだ朝を始められていないのに、この子達は1日を着実に過ごしている。
「あーあ」
あーあである。それからは本に集中しきれず窓の外ばかり眺めていた。妻は来るだろうか。そもそも留守電を聞けただろうか。さすがに夕方までここにいるわけにはいかないな。場所を変えるとなったらまた公衆電話から留守電を残そう。なんて言おうかな。
窓の外を走る人がいて、なんかあの人光ってるなと思ったら妻だった。突然現れたのだ。そりゃそうなのだけど。
怒られると思ってたのに第一声は「ごめん!」だった。遅くなってごめん、ということらしい。いや、全部僕が悪いのだ。むしろ来てくれたことが奇跡的なのだ。
色々話したいがなるべく早く仕事に戻って欲しい。できる限り丁寧にお礼を言って鍵を借りて家に帰った。今洗濯機を回しながらこれを書いています。
携帯電話のない時代の待ち合わせは楽しかった、って話あるけど、こんなにドキドキするものなんですね。人が光って見えるのだ。会えて本当に良かった。
本の宣伝
前から1コマから4コマぐらいまでの短いマンガをたくさん描いていて、それをまとめた本を作った。
2冊目に当たるのだけど、1冊目の本があまりに衝動的に作りすぎていて不親切だったという反省があるので、2冊目は丁寧に作って宣伝などもちゃんとしようと決めていた。だからブログを書く。
1冊目の反省① 背表紙がなかった
背表紙がなかったのだ。忘れていた。背表紙がないと本棚に入れた時に真っ白になってしまう。良くない。だから2冊目は背表紙を作った。奥付や前書きも作った。偉い。ビール飲んでよし。
1冊目の反省② なんか疲れる構成だった
1冊目はひたすら短いマンガが載っていた。それぞれに楽しみ方があるのだけど、読む人がいちいち咀嚼して自分なりの落とし所をつけないといけない。大変である。だから2冊目では要所要所に休憩コーナーを作った。咀嚼は引き続きして欲しいのだけど、休憩もしてよい、という構成である。
マンガがあり、咀嚼の例が隣に書いてある。
他にも『字のないコーナー』『タイトルだけのコーナー』『この本への応援歌』などがある。楽しいと思う。
大きく宣伝したいのは以上の2点である。
まとめると「楽しいよ」ということだ。是非買ってください。
934円のお会計に1,032円出した
コンビニで色々買って、合計が932円だった。1,032円出してボーッとしていたらなんかたくさんお釣りの小銭を渡された。反射的に受け取り、会釈をして店から出てしまった。
歩きながら考えたのだが、店員さんから言われた932円にはビニール袋の値段が入っていなかったのだ。
店員さん:932円です
僕:(1,032円出す)
店員さん:(ビニール袋の2円をレジで打つ)
僕:(ボーッとしている)
店員さん:(1,032円を受け取り、お釣りの98円を渡す)
僕:(お釣りの98円をもらい、店から出る)
こういうことが起きたのだと思う。僕は934円のお会計に対して1,032円を出し、98円のお釣りをもらったのだ。すごく気持ち悪い。「言ってよね〜」と思ったけど、店員さんも「気づいてよね〜」と思ったと思う。
夏の思い出
2歳の子どもがいて、今トイレトレーニングなるものをしている。オムツからパンツに移行するために、トイレで用を足すことを教えるのである。
といってもやることは「出そうになったら教えてねー」と声をかけることしかなく、毎日何度も失敗する(うまくいったらすごく褒める)。その日は保育園でたくさん失敗たらしく3枚も汚れたパンツを持って帰ってきた。
パンツは家に帰ってすぐ、ベランダで手で洗って洗濯機にかけるのだけど、手洗いしようとすると子どもが「みーせーてー!」とかけよってくる。「別にそんなにいいものじゃないよ」というニュアンスで「〇〇ちゃんのうんちだよ」と言うのだけど、同じ温度で「みーせーてー!」と言ってくる。
子どもは自分から出たものを自分の分身だと思っている、とかいうのを『チコちゃんに叱られる』で見た気がする。だったら邪険に扱うのも良くない、と思って恭しく見せると「おー…」という、どうとでもとれるよく分からない反応をした。
3枚ともそんな感じで見せる、洗う、を繰り返したところで、少し離れたところにセミの死骸があった。「セミだよ」と言って触らせようとしたけど「怖い」という。「じゃあ、あの植木鉢のところに置いとこうか」と言ったら「一緒に触ろう」というのでせーので触った。「どうだった?」と聞いたら「ジャラジャラしてた」と言った。
この時の会話とか、8月の熱気と洗剤とうんちの匂いとか、セミというアイコン的な存在もありものすごく「夏だな…!」と思った。
今まで夏というと、大学生の時のサークルの合宿とか、河川敷で見た花火とかが代表的な思い出として幅をきかせていたのだけど、ここにきてベランダでパンツを洗った思い出がトップに躍り出てきた。今後何年もこの日のことを思い出すんだろう。こういうこともあるんだなーと思った。
『納豆のフィルムを剥がす方法を裏技っぽさだけで考える』への、しなくてもいい補足
デイリーポータルZに『納豆のフィルムを剥がす方法を裏技っぽさだけで考える』という記事を書いた。納豆のフィルムを剥がす裏技を、たくさん考えて試すという記事である。
この記事を掲載してもらってから思いついてしまった方法があって、どうも気になるので試してみた。結果をこちらに報告します。
割り箸を底から突き立てる方法
思いついたのがこちらである。割り箸を底から突き立てる方法。
パックと納豆を貫通した割り箸だが、フィルムだけは貫通できなくて上の穴から引きずり出される。こんなかっこいい剥がし方ができたら歴史に名を残せそうだ。
タレだ! タレの袋だ!
そしてもう一度割り箸をさす。
このままフィルムだけズルズル出てくれば…!
簡単にフィルムを突き破った。
そうかそうか。やっぱりパックの小さい穴から引きずり出すには無理があった。インパクトは弱くなってしまうけど、フタはあらかじめ開けておこう。それでも十分かっこいいから。
納豆をもう一パック持ってきて、今度はフタを開けた状態で、底から割り箸をさす。
ダメだった。ダメだダメだ。フィルムってけっこうしっかり納豆とくっついているのだ。
気持ちを切り替えて納豆二パック食べた。
しなくてもいい補足でした。
猫なでるじじい
もうすぐ昼寝するかな、という2歳の子どもを抱っこして池袋の駅を歩いていたら、広いスペースで猫の雑貨を売るイベントをやっていた。目立つ場所には象徴的に大きな猫のぬいぐるみがある。
子どもが見たいというので近くに寄った。眠い時の子どもはわがままで、要求を断るとすごい勢いで泣くので爆弾を抱えているような気持ちである。その子どもがぬいぐるみを触りたいというのだけど「手を触れないでください」というプレートがある。こうなると気持ちは爆弾処理班である。優しく、触らずに猫を鑑賞する良さを教える。この言い方がダメならこの言い方、と一本一本コードを切っていく。
そんな繊細な作業をしている隣で、じじいが猫を触り始めた。あまり強い言葉は使いたいくないのだけど、これがくすんだ灰色の服を着て歯がなさそうな口元をした、じじいと呼ぶにふさわしいじじいだった。そのじじいが、ぬいぐるみの猫の喉をさわさわしている。目の前に「手を触れないでください」のプレートがある。呆気にとられる爆弾処理班と、一層触りたくなり騒ぎ出す爆弾。
よりによってなんで子どもに見えるように触るんだと思ってじじいをキッと見ると、ニヤニヤしだした。あ、こいつは分かってやってるんだな、と思った。理由は分からないけど子どもの触りたい気持ちを刺激して、我が家に不和をもたらそうとしている。どうしたらいいか分からず一瞬頭が真っ白になったが、横にいた妻が「あっちにも猫がいるよ!」と子どもの気を引いて、なんとなくその場から離れることに成功した。
遠くからじじいを見たら係員さんに怒られていた。
その場では本当にうんざりしたけど、こういう話はあとで人と話して盛り上がるので、結局じじいには感謝している。