起床と就寝の繰り返し

起きている間にやったことの記録

貼り紙を作ればいいんじゃないかと思うのだ

靴下の片方が見つからないと、家でちょっとした騒動になる。心当たりがある場所を順にひっくり返して「ないない」と騒ぐのだ。

見つからないので探す作業を後回しにしたいが、片方だけの靴下を放っておくのも気持ちが悪い。でも見つからない。探すのをやめたい。

そういう時は貼り紙を作ればいいんじゃないかと思うのだ。「靴下の片方を探しています」の貼り紙。あれがあれば貼っている間は何となく探している雰囲気が出る。でも探さなくていい。

貼り紙を作ればいいんじゃないかと思うのだ。

マグロを焼く石

この間、マグロの品揃えが豊富な居酒屋に行ったら、お刺身の部位食べ比べみたいなメニューがあって、脂が多い部位は脇にちょこんと置いてある「熱い石」に乗せて焼く指示をされた。席に着いた時から「なんか石置いてあるなあ」と思ってはいたのだが、マグロを焼く石だとは思わなかった。石にも色々ある。

焼いたマグロはすごくおいしかった。

背筋が「ソワッ」となった

ドトールに行った。レジが並んでおり、僕の前は恐らく一緒にテスト勉強に来た女子高生2人組だった。わちゃわちゃ注文をしている。僕はそれを意識の遠くで聞きながらぼんやりしていた。その日買った本を公園で少し読んでいたのだが、本格的に集中して読みたくなって近くのドトールに来たのだ。公園は桜が満開で花見客がみんな幸せそうで最高であった。

とにかくここ最近で自己最高のぼんやりを記録した頭でレジに並んでいた。

「次の方注文どうぞ」

店員さんのこの声でハッと我に返り

ブレンドコーヒーのSサイズ」

と言った。

するとそのすぐ後で前に並んでいた女子高生がケーキセットを注文し始めた。店員さんも女子高生の方を見てレジを叩いている。

背筋が「ソワッ」となった。僕の番ではなかったのだ。前の女子高生たちと店員さんと、後ろに並んでいる方たちは僕の声が聞こえたのだろうか。全員聞こえないかのように普段の営みを続けている。

誰も気がつかなかったのかもしれない。ぼんやりしていて出したつもりの声が出ていなかったのかもしれない。しかし恥ずかしさのやり場がないので「変な顔」をしていた。顔面から、溢れる負のエネルギーを放出させていたのだ。

女子高生の注文が終わってお金のやりとりになるとすぐ、別の店員さんが遠くから注文を聞いてくれた。また背筋が「ソワッ」となった。普通、あんな遠くから注文取らないだろう。行列を待てずに苦虫を噛み潰したような顔をしているクレーマーと思われたのかもしれない。違うのだ。恥ずかしくておどけてしまっただけなのだ。

弁解することもできないのでなるべく大人しく大人しく過ごして隅っこで本を読んだ。

ぼんやりしていてはいけないということだ。

やりすぎじゃないか

肉を衣をつけて揚げて、それをたれと卵で閉じてご飯に乗せたものがカツ丼である。やりすぎじゃないか。一回とんかつというご馳走を作っているのに、それを材料としてもう一度調理しているのだ。

やりすぎじゃないか。

なんだったんだタンギングって

この間突然、小学校の音楽の授業で習ったリコーダーの「タンギング」のことを思い出した。確か「トゥー」と言って吹くやつだ。なんだったんだあれは。「フー」で吹いても「トゥー」で吹いても同じ音しか出なかったような気がする。当時は深く考えなかったが、あれはなんだったんだろうか。ちゃんとやればちゃんとした音が出せたのか。そもそもリコーダーを習う導入として「タンギング」は適当な技術だったのだろうか。僕たちには、もっと他にやるべきことがあったんじゃないか。「トゥー」じゃなくて。なんだったんだ「タンギング」。

鼻を丸洗いできたらいいのに

花粉症の人がよく「鼻を取り外して丸洗いできたらいいのに」という。みんな言うので、花粉症の苦しさをうまく表した慣用句なのだろう。

これって、催眠術師がいたら実現できちゃうのだろうか。花粉症の人を催眠状態にして、消しゴムとかスポンジとかを、自分の鼻だと思い込ませる。そして、その鼻は相変わらず花粉症である。

「さあ、丸洗いしてみましょう」催眠術師が言うと、花粉症の人は焦点の合わない目でふらふらと流しに近づいていく。水を出して手に持った消しゴムをじゃぶじゃぶ洗いながら「気持ちいい…!ずっとこうしたかったんです!」とうっとりするのだ。花粉症の症状は和らいで明日からはずっと楽に生活できるだろう。

ここまで考えて、そもそも「花粉症でない催眠」をかければいいではないか、ということに気がついた。

パフェグラスにゴミを入れるな

食器をカウンターに返すタイプのラーメン屋さんで、空の食器に使ったティッシュや爪楊枝を入れる人と、入れない人がいると思う。僕は入れない人だ。機能的でないのは分かっているのだが、なんとなく汚い感じがして入れない。食器の脇に添えたり店内のゴミ箱を見つけてそこに捨てたりしている。

もちろん入れる入れないは、お店からの指定がない限り人の自由だ。どちらが良いとか悪いとかいう話ではない。本人が気持ちよく食べて気持ちよく帰れることが一番である。

と思っていたら、ある日ファミレスで、パフェグラスに紙ナプキンのゴミを入れている人を見た。それはないんじゃないか。パフェぞ。非日常と祝祭の象徴、パフェぞ。

あなたを高校球児としよう。高校生活を賭けて練習してきた。仲間の活躍と応援、何より自身の野球に賭ける思いが通じて奇跡的に甲子園で優勝できた。泣いた。感謝の気持ちでいっぱいである。その時もらった優勝のトロフィーのその中に、紙ナプキンのゴミは入れないだろう。そういうことだぞ。

パフェに対しては、もっと気持ちを込めて臨んでほしい。僕はパフェ界を1グラムも背負ってないし、この文章はファミレスにいたあの人にはきっと届かないだろう。でもどうすることもできず、書いてしまった。