白身のフライ
のり弁に入っている白身のフライが好きだ。
好きだが、何の魚フライか知らないことに気がついた。何だか分からないものをおいしいおいしいと言って食べていたのだ。とても知能のある哺乳類とは思えない。
だけど、白身魚であることは知っているのだ。実はそれで十分なんじゃないか。何の魚かぐらい分かって食えよという内なる自分に反論する。
じゃあお前はそのフライが何の魚か、細目まで知っているのだろうな。何の魚の何の種類のやつで、産地はどこで、性別は何で、何歳の魚か知っているのだろうな。
きっと答えられまい。論破である。
と思ったら、内なる自分は「限度が大事なのだ」と言う。
そうか、限度か。
そう考えると、何の魚か知っているぐらいが、ちょうど良く賢い感じがして好感が持てる。
魚類を食べる哺乳類として賢い。
やはり白身のフライが何の魚かぐらいは知っておくべきである。
自分に責められ、自分でそれに反論したが、逆にいなされ、自分で納得した。