のり
朝の山手線の床に焼きのりが落ちているのを見た。
味は付いていないプレーンののりで、ビニールの小袋に入っていた。
なんだか面白かったので写真を撮りたかったのだが、朝の山手線の車内でスマホの「カシャ」を響かせるのはいかがなものか。
音が出てくる部分を指でふさぎながら撮れば「カシャ」を限りなく小さくできることは知っているが、小さい「カシャ」音はより良からぬ雰囲気を醸し出しはしないだろうか。
小さい「カシャ」音は自分にギリギリ聞こえるぐらいの音量なのだが、電車の騒音の中でどれだけの乗客に聞こえてしまうものなのだろうか。
少なくとも隣の席の人には聞こえるだろう。
良からぬことをしているわけではないことは見てわかると思うが、
隣の人には「この人は床にのりが落ちている状況を面白いと思っている。写真を撮って多分誰かに見せたいと思っているぐらいに、この床に落ちているのりを面白いと思っている」ことがばれてしまう。
別の懸案事項が浮上するわけである。
恥ずかしい。
自分のうちの本棚を他人にじろじろ見られると恥ずかしいものであるが、それと同じ種類の恥ずかしさだ。
本棚をじっくりじっくり見られた隣の席の人と、自己啓発本がところどころに収められている本棚を見られた隣の席の人と、これからあと20分ほど一緒にいなければいけないなんて耐えられない。
そもそも床にのりが落ちているのは面白いだろうか。
誰かが、定食に付いていたのりを持って帰ろうとカバンに入れて、それを落としてしまっただけの話だろう。
不思議なことなんて何一つない。
のりの写真は撮らなかった。