起床と就寝の繰り返し

起きている間にやったことの記録

覚えておいたほうがいい数字

営業部にいるからなのか、「今期の売り上げ目標はいくらだったっけ?」と会議で聞かれることがある。

自分でない人間が聞かれていてもピリッとする質問である。

会議の後で、資料を見返してはため息をつくことになる。

なんというか、覚えておかなくてはいけない数字が多すぎるのだ。

会社の売り上げ目標とか、日報打つために入るシステムのパスワードとか、会議室に行くドアのパスワードとかである。

日常生活だって、ゴミ出す曜日と時間帯とか、野菜や肉の値段の相場とか、日本の人口とか、地球ができて何億年とか、今平成何年とか中国何千年とか、どれも大人としてパッと出てこないとカッコ悪いものばかりである。

多分一人一人の中にこの中の優先順位があって、大事なもの、好きなもの、気になるものから順にしっかり覚えているのだ。

僕は、ゴミを出す時間帯はしっかり覚えているが今期の売り上げ目標はちょっとふわふわしている。

売り上げ目標には、そういう意味でもっとしっかり頑張って欲しい。印象に残るギャグとか持っていたら覚えてもらいやすいんじゃないかと思う。

白身のフライ

のり弁に入っている白身のフライが好きだ。

好きだが、何の魚フライか知らないことに気がついた。何だか分からないものをおいしいおいしいと言って食べていたのだ。とても知能のある哺乳類とは思えない。

だけど、白身魚であることは知っているのだ。実はそれで十分なんじゃないか。何の魚かぐらい分かって食えよという内なる自分に反論する。

じゃあお前はそのフライが何の魚か、細目まで知っているのだろうな。何の魚の何の種類のやつで、産地はどこで、性別は何で、何歳の魚か知っているのだろうな。

きっと答えられまい。論破である。

と思ったら、内なる自分は「限度が大事なのだ」と言う。

そうか、限度か。

そう考えると、何の魚か知っているぐらいが、ちょうど良く賢い感じがして好感が持てる。

魚類を食べる哺乳類として賢い。

やはり白身のフライが何の魚かぐらいは知っておくべきである。

自分に責められ、自分でそれに反論したが、逆にいなされ、自分で納得した。

メロンクリームソーダ

ものぐさなので、会計の時に大きなお金を出しがちである。

そうするとすごいスピードで小銭がたまる。

小銭がたまると邪魔なので、ある程度たまると細かいお金だけで自販機のジュースを買うことにしている。

自販機のジュースなら10円玉をたくさん出しても、レジの人に面倒くさそうな顔をされることも後ろに並んでいる人にイライラされることもない。

10円玉13個とか出して「がぶ飲みメロンクリームソーダ」という頭の悪そうなジュースを買う。

これがとてもおいしいのである。

100円玉で買う時よりおいしく感じる。

10円玉をたくさん入れる動きが楽しいのと、定期的なお楽しみとして僕の舌が覚えているからだろう。

ものぐさが生み出したおいしいおいしい、がぶ飲みメロンクリームソーダの味だ。

怠惰、怠慢から何かが生まれることもあるのだ。

もしもコンタクトレンズがすごく重かったら

体重計に乗るときに、コンタクトの重さが含まれてしまうのでコンタクトをはずさなければいけなくなるが、コンタクトを外すと体重の表示が見えないので、音声で体重を教えてくれる体重計が発売されるようになる。
しかしその製品は周りの人に自分の体重をバラすことになるので、公衆浴場などでは体重計が置かれなくなる。

ちくわ天

「ちくわ天」が完成するまでににかかっている手間がすごい。

魚をすりつぶして、棒に付けて焼いて、それに小麦粉と卵を混ぜたタネを付けて、油で揚げたのだ。完成品をもう一度調理していてすごい。

おそばのトッピングに収まっている器ではない。

おでんの「もち巾着」もすごい。もち米を炊いて、ついて、丸めたものを、大豆を粉砕して、煮て、濾して、固めたものを、薄く切って、油で揚げたものに包んで、おでんのだしで煮たもの…!!である。

いただきますを言う時に何人に感謝したらいいのだ。

途方もなくて食べられない。

もう震えながら泣くしかない。

しかしそんな事を言ったら「カツカレー」もすごい。

なんだかすごい手間をかけて作った各種スパイスを、すごい手間の末に見つけたバランスで混ぜて作ったルーを、野菜を煮込んだものに入れてまた煮込み、お米を炊いたものの隣に盛り付け、その上に、牛肉にパン粉などを付けて、油で揚げたやつを乗せたもの(!!)である。

考え出したらくらくらしてきたので色々省略した。

なんかもう、猟奇的ですらある。

 

僕はニュースでストーカーについて報道されるとその恐ろしいまでの執着やこだわりに「うわあ、怖いなあ」と思うけど、カツカレーを見ても「うわあ、怖いなあ」と思ったことはなかった。

だけど同じだ。「恐ろしいまでの執着」という意味では。

 

こんなにおいしさにこだわって作ったカツカレーがあるのに、お刺身の方が食べたくてお刺身食べる時もある。

この猟奇を平然と無視して別の選択をする、という行動もまた猟奇的に感じる。